思い出し撮影日記 1

  • 2016.10.22 Saturday
  • 05:20

 

撮影日誌 <当時の日記より追想>

 

■2010.12.13

高尾のアゲ(絵美の夫・当時は僕の相談役でもあった)の工房を訪ねる。
アゲの家族のドキュメンタリー撮影持ち掛けるも、ピンと来ない様子。
ユキツグの話をするうち似たタイプの人として新宿に住む元ホームレスのキンボさんを紹介される。

絵美が途中で現れ「サトさんに会いに来た」と言った。

 

■2011.1.

絵美とともにキンボさんのアパート訪ねる。
キンボさん(阿寒湖出身)と阿寒湖の人たちとの「ビデオレター」の撮影の快諾を得る。
早速、絵美も入れ込んでの撮影を始める。
昼間から3人で焼酎飲む。キンボさん御機嫌。

 

■2011.1.21〜25

ビデオカメラ持って阿寒湖へ。
コタンの人たちに昔馴染みのキンボさんの映像見せる。
同時にキンボさんに見せるための風景やメッセージ数人分撮影。
親しくなった人たちポロンノに集まってくれ、深夜まで宴会。
文利さんインタビュー撮影・網走オホーツク流氷館、屈斜路コタン訪ねる。
郷右近君、フッキにさりげなくドキュメンタリー撮影を打診してみる。

やはりピンと来ない様子だが、なんとなく手応えあり。

 

■2011.2.4
絵美とともにキンボさん訪ねるため新宿で待ち合わせるも、緊急入院とのことで会えず。

(後に嘘だったことがわかる)

 

■2011.2.中旬
絵美、フッキに「極私的自己紹介プロフィール」を送り、改めて撮影の了承を得る。
ふたりの夫、母みどりさん、海沼武史にも話して了解を得る。

 

■2011.3.1
海沼宅でインタビュー撮影後、初めて絵美の家でカメラを回し始める。いよいよ本格的に始まった!

 

■2011.3.11
東日本大震災。
撮影ではなかったが、夕方アゲと青山で待ち合わせる予定だった。
出かける準備をしているところに地震。誰とも連絡取れず、余震に怯えながらテレビに釘付け。

 

■2011.3.15
なにかの打ち合わせのために絵美に電話したら、クルマの中。
急遽、一家で関西方面に避難することにしたのだという。
得体の知れぬ放射能の恐怖は、あの頃だれの心の中にもあった。とりあえず逃げるのは正しい判断に思えた。
僕と妻も(避難かどうかはともかく)絵美たち一家の後を追って、滋賀の実家へ行くことにした。

 

■2011.3.22

一足先に東京へ戻り、高尾で絵美一家の帰京を待つ。
雨の高尾の景色を撮影していたら、警備員姿の「カイヌマ」氏に遭遇。
期せずして彼の、険しくもラブリーなシーンが撮れてしまった。
その後、計画停電中の絵美の家で食事風景、アゲのインタビューを撮る。
この日の大きな収穫に僕は夜まで興奮していた。

 

                             <つづく>

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