スポンサーサイト

  • 2017.02.21 Tuesday

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 0
    • -
    • -
    • -

    思い出し撮影日記 1

    • 2016.10.22 Saturday
    • 05:20

     

    撮影日誌 <当時の日記より追想>

     

    ■2010.12.13

    高尾のアゲ(絵美の夫・当時は僕の相談役でもあった)の工房を訪ねる。
    アゲの家族のドキュメンタリー撮影持ち掛けるも、ピンと来ない様子。
    ユキツグの話をするうち似たタイプの人として新宿に住む元ホームレスのキンボさんを紹介される。

    絵美が途中で現れ「サトさんに会いに来た」と言った。

     

    ■2011.1.

    絵美とともにキンボさんのアパート訪ねる。
    キンボさん(阿寒湖出身)と阿寒湖の人たちとの「ビデオレター」の撮影の快諾を得る。
    早速、絵美も入れ込んでの撮影を始める。
    昼間から3人で焼酎飲む。キンボさん御機嫌。

     

    ■2011.1.21〜25

    ビデオカメラ持って阿寒湖へ。
    コタンの人たちに昔馴染みのキンボさんの映像見せる。
    同時にキンボさんに見せるための風景やメッセージ数人分撮影。
    親しくなった人たちポロンノに集まってくれ、深夜まで宴会。
    文利さんインタビュー撮影・網走オホーツク流氷館、屈斜路コタン訪ねる。
    郷右近君、フッキにさりげなくドキュメンタリー撮影を打診してみる。

    やはりピンと来ない様子だが、なんとなく手応えあり。

     

    ■2011.2.4
    絵美とともにキンボさん訪ねるため新宿で待ち合わせるも、緊急入院とのことで会えず。

    (後に嘘だったことがわかる)

     

    ■2011.2.中旬
    絵美、フッキに「極私的自己紹介プロフィール」を送り、改めて撮影の了承を得る。
    ふたりの夫、母みどりさん、海沼武史にも話して了解を得る。

     

    ■2011.3.1
    海沼宅でインタビュー撮影後、初めて絵美の家でカメラを回し始める。いよいよ本格的に始まった!

     

    ■2011.3.11
    東日本大震災。
    撮影ではなかったが、夕方アゲと青山で待ち合わせる予定だった。
    出かける準備をしているところに地震。誰とも連絡取れず、余震に怯えながらテレビに釘付け。

     

    ■2011.3.15
    なにかの打ち合わせのために絵美に電話したら、クルマの中。
    急遽、一家で関西方面に避難することにしたのだという。
    得体の知れぬ放射能の恐怖は、あの頃だれの心の中にもあった。とりあえず逃げるのは正しい判断に思えた。
    僕と妻も(避難かどうかはともかく)絵美たち一家の後を追って、滋賀の実家へ行くことにした。

     

    ■2011.3.22

    一足先に東京へ戻り、高尾で絵美一家の帰京を待つ。
    雨の高尾の景色を撮影していたら、警備員姿の「カイヌマ」氏に遭遇。
    期せずして彼の、険しくもラブリーなシーンが撮れてしまった。
    その後、計画停電中の絵美の家で食事風景、アゲのインタビューを撮る。
    この日の大きな収穫に僕は夜まで興奮していた。

     

                                 <つづく>

    PR

    calendar

    S M T W T F S
     123456
    78910111213
    14151617181920
    21222324252627
    28293031   
    << May 2017 >>

    selected entries

    categories

    archives

    recommend

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM