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    この映画「kapiwとapappo」の始まりの頃

    • 2016.10.19 Wednesday
    • 16:19

     

    思えば、この映画の企画を温めだしてからもう6年近くの月日が流れてしまった──。

     

    21歳の時以来、四半世紀にわたって映画やテレビドラマの世界でフリーの演出部(監督/助監督)として僕は生きてきた。
    そして10年前に一度はその道を諦め、現場を離れた。
    業界とも仲間とも連絡を絶ち、タクシードライバーとして生計を立てる決心をした。
    なぜならば、決死の覚悟で書いたシナリオは一本たりとも映画にならず、監督としても助監督としても仕事は来なくなり、借金ばかりがかさんでいたからだ。

     

    まあ簡単にいえば、食い詰めた、ということだろう。
    同時に、テレビ業界や芸能界に平伏すような映画界に嫌気がさしていた。
    いや、そこで作品を作り続けてこそプロというものだろう。

     

    だからつまりは、ドロップアウトだ。

     

    タクシーは思っていた以上に面白い仕事だった。苦労もしたが、車内は人間のショーケース。

    すべてが新鮮だった。
    実は若い頃から一度はやってみたいと思っていた仕事でもあった。
    (ちなみに34歳の時に撮ったプロデビュー作は、長塚京三さん扮するタクシードライバーと浜崎あゆみ扮する女子高生の話だった。これはもう笑い話の類だ)


    2年が過ぎてタクシーの仕事にも慣れた頃、虫が動き出した。
    昔から気になっていた「アイヌ」に関わってみようと、当時新井薬師にあったアイヌ料理店「レラ・チセ」を訪ねた。
    助監督として働いていたある大作映画の準備中に、僕は東京の撮影所で、北海道からやってきたあるアイヌのエカシに出会った。今から20年以上もまえのことだ。
    そのエカシは堂々たる体躯に髭モジャの彫りの深い顔、そのゆったりとした立ち居振る舞い、大地を揺るがすかのような野太い声。その全てに圧倒された。
    アイヌ民族とはこんなに凄い人達だったのか──。
    若かった僕は、いつか彼らの映画を撮りたい、と思ったが、些事にかまけ、また自分の中で別のテーマに取り組んだことで、いつしか記憶の引き出しの中に仕舞いこんでしまっていた。
    それから20年以上が経ち、僕はアイヌの人たちとの交わりを持ち始めていた。
    「レラ・チセ」に通ううちに何人かのアイヌの人たちと知りあい、少しずつ言葉を交わすようになった。

     

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