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    続報・稀代のファンタジスタの【つぶやき】

    • 2017.01.30 Monday
    • 01:22

    ファンタジスタ・K氏は敵も多いが、少しはファンもいる。

    そしてそのファンは、その熱量で多くの敵を蹴散らしてしまうほど熱烈であるようだ。

    ワシの知るなかで「K氏と友だちになりたい」とマジで言った奇特な人は、なんと二人もいるのだ!

    まったく世の中、捨てたものではない。
     
    昨日もワシの知らぬところで、熱狂的なファンを二人も獲得してしまったらしい。
    前回の記事でK氏のツイッターを書いておいたが、見てみると思いの外、映画に関して呟かれていた。
    私が力説するK氏のラブリーさの具体例として、また映画の新たな解釈としても感じるものがあったので、ここに転載させていただく。
    ■  ■  ■  ■  ■

    映画「kapiwとapappo」の作品批評の難しさは、まず、この映画に僕自身が参加している、つまり出演しているところにあり、また、この映画の舞台 裏をあまりにも知り尽くしているところにあります。つまり対外的に、書ける立場には無いのです。もし、書いてしまえば、野暮、手前味噌でしょ?

     

    ただ、この作品、映画の意義、意味合いについては、そっと、書くことは許してもらえるかも知れない。 映画「kapiwとapappo」とは、2010年の夏、この世を去ったアイヌの木彫作家・藤戸幸次への私信であり、これを「切ない窓」とし、その向こう側に眠る、在る、我が国の同化政策によって

     

    いわれなき差別、本来の暮らしと言語を、野蛮な暴力の行使によって奪われた者たちへ、今は無き、死者たちへ、限りなく内密で個人的な報告書として、平伏の 儀としてあるんじゃないだろうか?そしてさらに、アイヌが自らをアイヌとして名乗る必要が無かった時代の彼らに向けてのラブレターとして…。

     

    もちろん、監督は、そこまで意識できなかったかもしれないし、もし、これを意図していたら、これは書かなかっただろう。 僕たちは、あまりにも日本仏教と安っぽい占い師の言葉を鵜呑みにし、惑わされ、お気軽に「ご先祖様を大事に」、供養・追悼、…わが身の安全を確保しつつ、綺麗ごとでまとめる。

     

    追悼というのは、自身を「明け渡す」というぎりぎりの精神を要求されるという事実、非常に個人的なものとして、或る精神の内部で爆発するという事実すらも、僕たちはすでに忘れつつあるのだ。 映画「kapiwとapappo」は、監督・佐藤隆之のしずかな「明け渡し」としてある。


    で、主の佐藤監督はスタジオにて英語の字幕を猛編集中!ということで、来れず、なんだかんだ盛り上がって話し込んでいるうちに展覧会場の閉店時間。そのまま「じゃ!」もなんだから、5人はそのままで駅前の居酒屋まで、GO。。。 居酒屋では、メカエルビス氏と<音楽>について、談笑。

     

    もちろん、映画についても、監督さん不在ということで、初対面であるにもかかわらず、おおいに語り合ってしまった。(佐藤不在で良かった!)。でも、あれ はメカさんの人柄なんだろうな。聞き上手、というか。柔らかい人なんだよな。もちろん、彼のベースには黒人ブルースが、60年代の音楽のハートが

     

    対岸が霞んでしまうくらいの<河>が、滔々と、この世の邪悪さと滑稽さ、そして眩いばかりの性の、生の美しさを含み、陽を受けきらきらと輝くあの<河>が見え隠れし、映画『kapiwとapappo』のテーマ、わずか30秒にも満たないギターソロの曲のうごき、呼吸の内に彼の(素)地が、跳ねる。


    「どうもはじめして」と挨拶を交わし 「あれ?」 マスクをしていない生(なま)メカエルビス 「え!!」 初顔合わせ。なぜか、ぼくはメカエルビス氏をメキシコ人、もしくは南米系の血が混じっている方、諸々の事情により、若くして来日…などと勝手に思い込んでいて「あれ、日本人?」と、ホホ…。


    人が自分の見たくないものを見ないようにする時、どんな方法を使うか。どう物語(言葉)をうまく使うか。この映画は、嘘を一枚ずつ剥がし、本当は見たくな かったもの、辛い真実と痛みを発掘する作業でもあった。本物の自分と和解するためには辛い真実と向き合わなければならない。(オッペンハイマー)

     

    その人間の外形、身分、名前、出自等を忘れて、そのものずばりを見ろ。その人間の所作、行為、一挙手一投足に注目し、見よ。さらに、その「うごき」すらも 忘れ(透明化し)、その者の心にフォーカスせよ。そしてそのカタチなき心まで通過し、透過し、その者、人間の古里を知れ、ということになります。

     

    昨日は、はるばる奥高尾までカミさんのちいさな展覧会にドキュメンタリー映画『kapiwとapappo』の監督・佐藤隆之と奥様がお越しになると聞き「ちょっと顔を出そっ」と挨拶に伺えば、劇伴を担当した サイバーニュウニュウのメカ・エルビスさんとイラストレーターのエビ沢キヨミ女史が…。


    (ん?)ああ、でも、昨夜の、あの会話、あの瞬間、集い、夜の、ざわついた居酒屋の舞台、その淡い、の数々、自体、佐藤隆之の事後演出、手の平の出来事だったかも知れない。(なんか、腹立つが…)。笑

     

     

    ■  ■  ■  ■  ■
    まあこれは貴重な文章になるかもしれないので、今のうちに保存しておくことも有意義だろうと思う。

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